
懐かしくておもしろい作文出てきたから、
原文のまま打ち込んでみたよ!



ブログで作文発表??
ありえなくね?



昔のこと思い出しながら、
昔の自分にアドバイスしながら
お届けします!



作文のタイトルは・・・
『野球と自分』!



いやあ、そのまんまだよ。
そのまんまひが〇だよ!
野球ノート:小学校~中学校



野球との出会いからお伝えします!



ふるっ!
(これは長くなりそうだな・・・)
高校三年間は野球一色だった。そこで野球と自分とは一体、どんな関係なのか見直してみたい。
自分と野球との出会いは、小学校低学年だったと思う。
カラーバットで打ち返した球が飛んでいくのを見て、非常に気持ちよかったことを覚えている。
これで自分は野球の虜になってしまった。
だが当時の自分は、本格的に野球をやる気は全くなく、むしろ家にこもりがちで、運動嫌いな少年だった。
小学校高学年になると、次第はに外へ出て遊ぶようになり、中学に入学したら、野球部に入ろうと考え出した。
しかしその中学校に野球部がなかったため、しょうがなく陸上部に入った。
ここで、もし中学で野球をやっていたら、野球を嫌いになってしまったかもしれない。
中途半端な情熱でスポーツに取り組めば、中途半端な形で終わってしまう。
高校入学時に比べると、中学入学時の野球への情熱は確かに少なかった。そう考えると、中学で野球をやらなくて正解だったかもしれない。



おいおい。
自分で野球やらなくてよかったって納得しちゃってるよ。



自分の判断を正当化したかったんだよね。
まぁ、野球の世界はそんな甘くなかった、、、
という声をかけたい。



現実ではなく、夢を見ていたわけか。。。



正確には現実を知らなかった。かな。
野球ノート:高校入学~野球部へ入部



おーいきなり、入学&入部か!



そう!光陰矢の如しだよ。



使い方違うだろ。
そして高校へ入学と同時に野球部に入部。
入部の瞬間、野球ができるという喜びで胸が一杯になった。
しかし、当時の野球部の決まりで一年生は夏の大会が終わるまで球拾いだった。そのため、本格的に練習を始めたのは大会以降だった。
毎日球拾いや同じトレーニング、確かにつまらなかった。
しかしその気持ちに野球に対する情熱が勝っていた。この時、軽い気持ちで野球部にはいっていたのなら、多分途中でやめていただろう。



人数多かったから、ずっと球拾いだったんだ。
イマドキの野球部は違うような気がするけど。



しかし、下積みは大事。



この3カ月。もっと大事にするべきだったね。
夏の大会が終わり、三年生が引退した。一年生の自分も、やっと練習に参加できるようになった。
だが、この時期の自分には何をしても失敗ばかりで、周りが見えず、自分のことで精一杯だった。そこで友人から練習日誌を書けば、との提案があった。
その日の練習の失敗の原因、先輩や監督に言われたことなど、気が付いたことは全て日誌に記すようにした。
これによって、自身を以前より少しだけ客観的に見られるようになった。この時から他人の意見やアドバイスを積極的にとり入れるようになった。



日誌をつけてたのか。。。



同じ失敗を繰り返さないため、という目的もあったけど
どちらかというと精神安定剤的な役割だったね。
心を落ち着かせる感じ。



いつも落ち着いてないもんな。
いい年して。



おい!
秋になって初めての練習試合出場の機会が巡ってきた。
その機会とは、最後の一回だけの守備というものだった。辺りは暗くなってボールが見える者が試合に出るという形になっていた。
そして監督からお呼びがかかって
『ドヤツエ、ボール見えるか。』
『打つ球なら見えます。』
と何とも曖昧な答え方をしてしまった。結局、この答え方によって、初めての試合出場の機会を取り逃がしてしまった。どうしてあんな答え方をしてしまったのか、思い出すたびに悔恨の念が沸いてくる。
以来、夏合宿まで練習試合出場の機会はさっぱりなかった。
そして自分の中で焦りの色が見え始めてきた。同年代の友人達や後輩にどんどん抜かされていく。
しかし、その焦りは力に変わることなく、初心者だから仕方がないという逃げ場を作っていった。



文面から甘えが見えるぞ。甘えが。



自信ないのが出てしまったね。
いつ来るかわからないチャンス。
準備は大事ですな。



まるで他人事みたいないい方だな。
野球ノート:高校2年






2年生になって事件が!



なんだよ、事件って。
いつも大げさだよな。



ほぼ野球素人のドヤツエが副キャプテンに任命!



えーーーーー



これはプレッシャーでしかなかったよね。
悩ましい姿が見てとれるよ。



でも男ならやるしかないだろ。
二年生の夏が終わって、例のごとく先輩方が引退していった。先輩方がいなくなって胸にポッカリと穴が開いたような気分になった。
それに追い打ちをかけるかのように、自分は副キャプテンに任命された。
普通、副キャプテンに選ばれるということは名誉なことだが、野球に関してまだ自信のなかった自分にとって、このことは大きなプレッシャーとなった。
自信がない、しかし副キャプテンとしてチームを引っ張らなくてはいけない、こんな気持ちがいつも頭の中を駆けめぐっていた。
『副キャプテンだから、副キャプテンなのに。』いつしか自分のプレイには、このようなことが形容されるようになった。



ちょっと自意識過剰なんじゃないの??



意識高い系と言っていただきたい。



それは絶対違う。
さらにこのころから、野球の上手・下手で、自分がランク付けされているのでは、と感じ始めた。
考えてみると、自分も先輩方にそのようなランク付けをしていたと思う。野球によってその人の人格が軽蔑されるのは、おかしな話だ。
野球という一つの視点からでは、人を判断するのはまず不可能である。このような誤った価値観を持たないよう、以降気をつけたい。



若さがにじみ出てるよね。



完全に劣等感からくる考え方だね。



気づいてるだけマシでしょ。
意識高い系だから。



(しつこいし、めんどくさい・・・)
話は戻って、練習試合初出場の時は、かつてないほど緊張した。
監督に期待されてか、副キャプテンだからというお情けからか、それは定かではないが、七番ライトでスタメンだった。
しかし、三回途中で、ライト前ヒットを後逸、あえなく交代させられた。自分は途方なく恥ずかしかったが、一から出直しだ、以前のように逃げる気持ちは消えていた。



チャンス逃しちゃったね~もったいない。



とんでもなく緊張してたのは今でも覚えてるよ。
自信なかったからね~



しかし、気持ちの切り替えはやいな。
(なんにも考えてないからだと思うけど。)



それがチャームポイント★



それも違う。
それ以降、自分は二回ほど試合に出させてもらった。
試合に出ることで、野球の楽しさが二倍も三倍にも増した。そして秋の大会が近づいてくると、自分は背番号をもらってプレイしている夢を何度となく見た。
背番号がほしいという気持ちが相当強かったのだろう。結局、背番号はもらえなかったのだが。



夢にまで出てきた。強い思いだな。



思いはあったんだけど、行動が伴ってなかったかもなぁ。
九月末になって、自分は腰に怪我を負った。
この前にも何度か腰を怪我したことがあったが、全て二週間ほどで完治していた。だが、この時の腰痛は違った。行きつけの医者に一カ月も二カ月も通っても治らない。
そして色々な病院を転々としているうちに、半年がたとうとしていた。このまま野球ができないまま引退してしまうのではないか、そんな不安が脳裏をよぎった。
そして、一か八か、友人に紹介された接骨院に行ってみた。すると、どうだろう。それまで半年ほど悩まされていた腰痛が二週間で治ってしまった。
当たり前のことができない、これほど苦しいものはないと、この半年間で感じた。
野球がまたできることは何ものにも変え難い喜びであった。そして、この友人や接骨院の方々には、今でも感謝の気持ちでいっぱいである。



半年も!!それは痛い半年だな。。。



ほとんど何もできなかったからね。
半年間、プールで泳いだりはしてたけど。



やることはやっていた、ってアピールだな。



アピールしないと伝わんからね。
野球ノート:高校3年






ようやく怪我から復帰!!!
でも・・・



えっ、もしかして、、、また!?
だが運命は自分に簡単には野球をやらせてくれなかった。
腰痛から復帰後二カ月で、右手小指を剥離骨折してしまったのだ。この時期は背番号争いの真っ只中で、自分にとって非常に重要であった。
そんな時期に怪我をした自分は、とうとう背番号をあきらめた。この時点で、自分の高校野球は終わった、と思った。



これ友達と遊んでやっちゃったんだろ。
意識低すぎでしょ。



怪我を隠しても続けろよ!
と大声で言いたい。



最後は逃げちゃったんだね。



そんなドヤツエにも
野球の神様が
ステキな時間を与えてくれました(泣)
しかし、怪我の復帰後に忘れられない出来事が起こった。
それは紅白戦出場の時のことである。自分はセンターを守り、場面はランナー二塁だった。
ピッチャーがボールを投げ、バッターがセンター前にヒットを打った。
自分はその打球を捕って、そしてホームへ向かって投げた。
ワンバウンドの送球、キャッチャーがランナーにタッチしてアウト。
周りからはナイスボールナイスボールと声がかかった。
自分は小さくガッツポーズをして見せた。
二年半野球をやってきて何より嬉しい出来事だった。
他の人から見れば練習なんかで喜んでどうするということだが、あまり試合に出れなかった自分にとって、
実戦に近い形でランナーを刺すことは、最高の思い出となった。
またこれをきっかけに大学でも野球を続けることを決意した。



苦労したからこその
小さな喜び。
何とも言えない喜びだったね。
なんもいえねー。



ちょいちょいはさむな。
野球ノート:高校生活総括
今の自分と野球部にいたころの自分とを比べてみると、よくもあれだけ頑張れたものだなと我ながら感心してしまう。
部活から帰ってトレーニングしたり、出られない練習試合のために朝早く起きたり。部活動の辛さよりも勝る何かがあったからこそ、ここまでできたのだと思う。
ある野球部OBの方がこんなことを言っていた。
高校野球は高校でしかできない、と。
この言葉を聞いた現役時代には、当たり前のことのようにしか聞こえなかったが、今になってようやくその意味がわかってきた。
戻れるものなら、野球部にいた頃に戻ってみたい、そういう過去を惜しむ気持ちを言っているのではないか。
自分も戻りたいと今さらになって思う今日この頃である。



結果がでなくても、なんでも
好きで楽しかったら続くんだね。



そうゆうことだな。今も続けるべきだね。



継続はチカラなり!
約二年半、野球の辛さは思う存分に知ったが、野球の楽しさはまだ半分も知らない、と思う。
その楽しさを知って、野球と人生の最高のパートナーとなって、これからもこの関係を続けていきたいものである。
そして野球をできる幸せをいつまでも感じていたい。



野球はいまでも細々と続けてるよ。



幸せか?



好きなことを続けられることは幸せだね!!
あの1プレーをくれたことに感謝!



今も好きなことを続けてたら、なんかいいことあるかもな!



継続はチカラ!以上ドヤツエでした!!
※親しい友人でもここまでは知らない。幼少期~のドヤツエの自己紹介です。幼少期の痛い思いが原体験になり、痛み=失敗を無意識にさけるようになっていました。原体験ドリブンで終始自信のない自分も浮かびあがってきました。詳しくはこちら。
コメント