【成敗利鈍】

成功するか失敗するかは
分からない。とにかく進む。

母子家庭の息子の目線で語る。想い。当たり前のことが当たり前でない。

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チェック

●私の【当たり前だった「母子家庭

●母子家庭の息子の目線でその【当たり前】を改めて、考えました。

母子家庭で頑張る人に届けたい

母子家庭でしか得られない幸せに気づくこともできました。

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年上の男性との接触不足

小学校~大学の学生時代、父親がいないことに不自由に思うこともありませんでした。今思えば夫婦揃った家庭と遜色がないくらいにサポートをしてくれていたからだと思います。

しかし就職して営業という職種に就くことで、今までは学校の友人・年の近い先輩に囲まれた生活から、年長者の多い場所や年配の取引先の社長などとも話さないといけない機会が一気に増えました。よくよく考えると、学生時代に年長者の男性と話す機会は先生ぐらいしかなかったのです。当然先生なので密なコミュニケーションはほとんど取れていません。

物心ついたときにはもう母子家庭。全く再婚の気配もない母は男の影もなく、私が学校以外で大人の男性と接する機会は皆無でした。

夫婦がそろった家庭と比べると、その経験の差は歴然。自分が30代半ばになるまで、年長の男性にはなんとなく苦手意識があり避けて通ってきました。特に顕著だったのは祖父ぐらい年の離れた年長者です。何事も経験に触れていかないと、どんどん苦手意識が高まり楽な方へ逃げて行ってしまいます。当時を思い出すと、やはり無意識のうちに接触する機会を避けて通っていましたね

この記事を読んでいただいているあなた。難しいかもしれませんが積極的に息子さんが目上の男性と話せる機会を設けてあげてください。学校以外でも習い事などで男性と接触させてあげてください。そうすれば私のように困ることはないです。

ふいに気づいた孤独

幼いころは母親でも一緒に遊べますが、大きくなってくると中々同じレベルでは楽しめないものです。それは母と同居していた祖母と3人で旅行に行った時のことです。3人でホテルのプールに行きました。母と祖母はプールの外から見てるだけ。。。1人で泳いでいると「1人じゃつまらないなぁ。」「なんだか、さびしいなあ」とふと思ってしまいました。これは母子家庭1人っ子の宿命かもしれません。その頃、普段の旅行は必ず母の姉の子供・いとこの兄弟と一緒に遊び寂しい思いはしませんでしたが、その2人がいない時に感じたのです。ここに父親がいれば、と考えることはありませんでしたが、、、

二度の事故が親の過度の心配性を生み、反抗期が長引く

小学二年生の終わりに交通事故に会い、救急車で運ばれ2週間入院しました。しばらく経った後、今度は下り坂から猛スピードで降りてくる自転車にぶつかる事故に巻き込まれたのです。何度も事故に会ったその時、親に心配ばかりをかけて「申し訳ない」気持ちでいっぱいになり、母親に謝りました。

この2度の事故がきっかけなのか母の度を過ぎた心配性によって、小学校高学年までは外周約1.5kmほどの住んでいた団地外へは行く事は禁止されました。このときに奪われた自由が原因で、母に対する反抗期が長い間続いたのです。社会人になってもそれは続き、自分の結婚式で祖母に「お母さんに優しくしてね」と言われる始末でした。

初対面ではいつか必ず通る父親・母親の話

会話の流れの中で、「お父さんのお仕事は?」「お父さんはどこ出身?」など父親の話はときおり出てきます。最近ですと、「ご両親のところには帰省しないの?」「ご両親はおいくつくらい?」のような表現に代わってきました。その際に「うちは母子家庭なので・・・」と返事すると「聞いてすいません・・・」のような態度を取られ、その後の場の空気が少しきまずくなります。私はその空気感が今も昔も苦手で面倒で適当に返事することも多々あります。そして僕が小さいころの母子家庭は今の時代よりも珍しかったので、きっと好奇の目で見られていたと思います。ただ持ち前の鈍感力でそういった視線やストレスをあまり感じずに成長することができました。

他の家庭より少し狭まった視野と経験値

当たり前のことですが、子供の小さいときは両親の経験や知識以上のことをするのは機会自体が少なく、中々難しいものです。私の例でいきますと、母親の仕事は役所勤めだったので民間の企業の情報や話は皆無でした。就職活動中も一番に頼りになるはずの先輩である親の意見は全く参考になりませんでした。父親がいれば双方の意見を聞きながら、進めていくということもできたはずです。

他にも母親は極度のニンニク嫌いだったため、私自身が初めて餃子を食べたのは中学生になってからでした。食卓にニンニクを使った料理が並ぶことは皆無でした。。。

このように母子手家庭ですと、母親が持つ好みや情報の範囲によって子供の経験の豊富さが左右されます。

親子共にに新しいことに挑戦していくという姿勢があれば、この問題は解決できます。

私が一度も呼んだことがない「お父さん」

母子家庭で寂しかったことや父親がいる人をうらやましく思ったりはすることはあまりなかったです。しかし、自分に子供ができたら『絶対に自分の父親のようにはならない』と心に決めていました。

ギャンブルに酒に溺れた父。完全に私の人生の反面教師となってくれています。その意味では感謝しております。

初めて父にあてた手紙もあります

そんな私の父親は、私が一度も呼んだことがない「お父さん」です。これからも「お父さん」と呼ぶことはありません。

今、その「お父さん」という言葉を息子たちから呼んでもらえている幸せ。そんな【当たり前】のささやかな幸せに気づいた私は喜びに胸が熱くなりました

「父親」という存在に全く触れたことがない私でも「お父さん」と慕ってくれる息子たち息子たちという宝物を何よりも大事にしたい。この記事を書きながら、そんな想いが溢れてきました。

父親がいない幸せもそこにはある。

私が今の私でいるのは、母子家庭があったからこそです。片親だからこそ、【当たり前】に「お父さん」と子どもたちから呼んでもらえる喜び・幸せに気づくことができました。

これからもあなたの愛情を一心に受け止めるお子様。今すぐ気が付くのは無理でも、時が経てば母子家庭でしか得られないもの・愛情・幸せに気づくことになるでしょう。

当たり前】のことが【当たり前】でない母子家庭だからこそ、感じることができる幸せがあります。

満たされていると気づかない。どちらか片方欠けていると気づくことができる。人間とはそんな生き物なんでしょうか。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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第一話 まだ見ぬ父へ手紙を書いた話はこちらです。

まだ見ぬ父への手紙(ググっても出てこない)
幼少期に離婚し一度も会ったことのない父へ手紙をかいてみました。今の思いのたけをぶつけています。 母子家庭の息子はこんなことを考えています。

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男としての自分のルーツを探す旅にも出ています。

祖父と自分の歩みを比べると、自分の命の重みに気づいた。
祖父と自分の歩みを比べると、繋がれてきたこの命の重みに気づきました。祖父があの戦争を生き抜いたからこそ、今の自分がいます。繋がれてきた命を意識して、今を強く生きていくことを決意しました。

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もう悩まない。不安や悩みを抱えるのは今日で終わり人の温もりや思いやりを提供します。

失敗からの学び(学生)
doyatsue

現在家族と離れ単身赴任中の営業マン
サッカー少年の二児の父親です。
常識を壊すような読書から気づき、自らの失敗からの学びを皆さんに共有していきます。趣味のお絵かきで楽しくスニーカーぬり絵もしておりますのでよろしければ見ていってください。

『ジョウロ』のゾウさんのドヤツエは、私のおおざっぱでテキトーな性格・能天気なところを抜き出しております。相方の『ジガゾー』は疑い深い保守的なところを採用しています。二人の掛け合いをお楽しみください。

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